少しはまじめに・・・ 地方に在った変わった取引所

何でもかんでも、証券化することにより、怖わそぉーーな商品取引である事、それも、先物取引で、「追ショ」が必要になることを隠すこともできるのだがぁ・・・

その昔、繊維王国日本(にっぽん)では、人絹(レーヨン・スフ)の取引所が福井県に在った。 シカゴで、CO2の排出規制の枠についての取引所が出来ている事から考えると、商品取引所が福井県といった地方都市にあっても、今となってはおかしくはないのだが、最初に立ち上げた人たちの苦労はいかに?

ま、大阪(あふさか)の米相場を見るまでも無く、古くから、紙っきれ一枚で取引が可能だった国(当時は、1つのまとまった国といえるかどうかは別として)だからこそかな?

  • 福井人絹取引所の沿革
時期 記事 備考
昭和 7年5月 福井人絹取引所開設。 世界初  
昭和 17年2月 福井県人絹取引所解散。  
昭和 26年2月 福井人絹取引所再開。  
昭和 41年2月 福井人絹取引所、15周年記念式を挙行。 再開から15年
昭和 46年2月 福井人絹取引所20周年を迎える。 再開から20年
昭和 50年12月 福井人絹取引所、臨時会員総会を開き「31日をもって解散する」ことを決定。 再開から24年

時代の流れで、解散してしまいましたが、お疲れ様でした。