戦後・・・ といわれた時代

子供の頃、八百屋さんで買う野菜は、真っ白だった気がする。 農薬まみれの・・・ で、高級アルコール系洗剤 ( 「 ライポン 」 だったか、 「 ワンダフルK 」だったか? 少なくとも、ヒロポンではないはず、絶対に!) で、野菜は洗ってから調理していたような気がする。
また、子供たちも働いていた。 文化祭で訪問した母校には、小学生が新聞配達する姿の像が過去にあった事をしめしていた。 私自身は見た記憶があまりなく、二宮尊徳の像と、校庭に屋根つきの相撲場があったことは鮮明に記憶しているのだが。

  • 「働く子の像」の証拠?

     進学相談会に出かけて、初めて知ったのだが。

新幹線も、海外からの資金協力で完成した事や、海外のコピー商品を多く製造した上で、輸出までして外貨を得ていた事。

今の中国、ほんの少し前の日本を考えると、似ているような点も多い事に気づかされる。

わが身の過去を忘れてはいけない気がする。

彼女が住んでいるのが、私の母校が通学区域。 母親に代わって進路相談等で学校を訪問できる機会を得れたのは幸せ。 なんせ、卒業生でも不審者から児童を守るため簡単には母校に入れない時代ですから。